ブルートレイン「富士、はやぶさ」のラストランがありました。東京駅のホーム、黒山の人だかりでした。隣の新幹線のホームもいっぱいで、発車を待っていたら、人多すぎで、発車遅れ、いざ汽笛鳴ったら、700系入線してきて、可哀想ってかんじでした。 EF66に引かれ、ゆっくり発車していきました。実にいい絵でした。また一つ昭和が消えていきます。 鳥取県選出の、石破農水相(実は結構好きなんです、特に防衛大臣の時の凛とした態度)が会見してて、「青春はブルートレインと共にあった」と言ってました。まさしく、そのものです。但馬出身の私も、東京へは、ブルートレインでした。 貧乏な学生時代は、寝台にすら乗れなくて、ひたすらボックス席でしたね。豊岡から、「八雲」か「出雲」、もしくは、京都まで、各駅で行って、「銀河」でというパターンもありでしたね。電車(まだ汽車だったかな)好きだったし、苦にはならなかったですね。しかし、あまりのみすぼらしさに、同席したおばちゃんから、「少しやで」と、お金をいただきました(みかねたんでしょうね)そんな事が2度程ありました。有難かったです、ほんとに、お金なかった時代やった。でもそんなもんやって思ってました。親恨んだりしなかったし、むしろ兄と違い、好きにさせてもらって感謝してました。 社会人の時(豊岡時代)、東京出張の時は、専ら「出雲」。仕事済んでから、乗り込みました。豊岡21:30発くらいやったかな。その時は、ちゃんと寝台でした。酒飲んで眠るんですが、当時、山陰線まだ非電化で、京都でDD54(?)から、EF60(?)に切り替える時の、「ガチャコン」という振動で、必ず目が覚めた。東京着6:30ぐらいやったか、八重洲地下の「東京温泉」(サウナもあった、今でいうスーパー銭湯やね)で、身支度して、仕事に向かうというパターンでした。 そんな時代は、過ぎ去りし昭和とともに、今はね...(泣)しょうがないから今は、写真と、Nゲージで、なつかしんでいます。 #
by t-y1980
| 2009-03-15 00:31
| 青春の思い出
昨日、ボクシング世界戦がありました。西脇出身のチャンピオン長谷川 穂積選手、むちゃくちゃ強かったですね。挑戦者は、あのタイの英雄、ウィラポンをKOしてきたって聞いてたし、サウスポーやし、リーチえらい違うし、少しはてこずるって思ってましたが、何の何の強かったですね! 亀田3兄弟も頑張って欲しい。某TV局の、異常なまでの演出で、すっかり悪者になってしまった感があるけど、あの若さで、あそこまでやってる訳なんだし、成功してもらいたい。 メディアの在り方?の話はまた後日ってことにして、私のなかで、強いチャンピオンと言えば、大場 政夫しかいません。 3階級制覇も夢ではない、それぐらい、日本人離れの体格した彼は強かったなあ。しかし、1973年の1月だったか、チャチャイ戦の後、首都高速の新宿の大曲で、日本に3台しかないと言われた、愛車シボレーコルペットスティングレーで事故死してしまいました。 悲しかったなんてものではなかったなあ。 上京して間なしの、田舎者だった私たち、せめて葬式を見たいと、友達の松本君と、青山葬儀場にでかけました。彼も大フアンでした。でも私服やったし、見つかったら叱られると、その時は本当に思ってました(純真な若者でした) で植え込みに二人隠れて、式を見ていました。 しかしやっぱりみつかりました。 ボクシング関係者の人なんですから、喪服着てたら、そらもう...系の人みたい。どうしょう、どうしょう、と逃げようとしていたら、つかつかとやって来て、「君たち!」 叱られるって思ったつぎの言葉、「焼香してやって!」 耳を疑いました。 えー!いいんですか?しかも、思いっきり普段着(喪服なんて、持ってないけど) と躊躇している我々を、彼は、どんどん中に連れて行きました。すごい人垣の中を通って、焼香台に着くまで、二人ともカチカチで、ロボット歩きでしたわ。 後は覚えていませんが、松本君が、「おおー!何か動いた」って前を見て、驚きました。明るいとこから、急に入ったからあまり見えなかった。よく見ると、お坊さんが何十人も!!(その時は、そう見えた) そんな思い出がある、大場 政夫!! 強かった!! #
by t-y1980
| 2009-03-13 16:56
| 青春の思い出
大相撲三月場所始ります。昔から結構すきでした。しかも、渋い力士が贔屓でした。 明武谷、海の山、藤の川、青の里、安念山、みんなしぶかったなー。 大学時代は、やっぱり、初代貴乃花、弱くてねー、ほんと応援してあげないとしょうがないほど、よく負けた。場所が始まらなきゃいいって真剣思いました。勝負の時は、まともにTVみれなかったなー。初優勝の時は、泣けました。 その流れで、三代目若乃花ね。なんで相撲界に入ったんや、応援せなあかんやろーって感じ、弟と違い弱いのに、早く引退をって思いながら、みてました。 角界のマツケンと言われた、旭豊が、名門立浪部屋を継いだ事は、知っていました。羽黒山(安念山)のフアンだったし。その名門立浪部屋が、茨城県に引っ越ししていたのを、去年の3月のNHK(BSだったかな)で知り、鬼怒ノ浪こと、高島一樹くんを知った。去年三月場所初土俵、正月場所で6勝1敗で、今場所から、序二段東四枚目です。頑張ってます、十両までは、まだまだ先は長いけど、頑張って欲しい。 若者が、目標に向かって、ひたすら邁進する姿が好きです。年のせいかも。 #
by t-y1980
| 2009-03-12 00:01
| その他
二次会がありました。若いカップルでしたし、幹事の女の子は、初めての経験でしたので、どうなるか、ましてや、所謂ギャル系でしたから、どうなることかとは、考えてました。 しかし、事前の打ち合わせや、疑問など、何回も、納得いくまで、来店してました。しかも当日渡してくれた、式次第の見事なこと、それに合わしての、シュミレーションもしっかりやったらしく、いままで数々二次会をやってきた、私も驚きでした。 果して、終わってみれば、それはそれは、見事な飾りつけ、見事な司会進行、我々スタッフ感心することしきり、あっぱれな出来栄えでした。よかった、よかった。 若いから、ギャル系だからって、色眼鏡で見たらいけませんね。いざというときは、若者のほうがやるかもです。 とにもかくにも、いい二次会でした。お幸せに! #
by t-y1980
| 2009-03-09 21:20
| ライブ
今日TVで、建仁寺と東寺に、無事に還った仏像を観に、あの仏像ガールが横浜からやってきたと、報道してました。かん極まって、泣いていましたね。 彼女の影響か、最近は、仏像巡りの女性がふえたそうです。癒されるそうです。 去年、母(義母ですが)を亡くした時、そういえば、母がやり残した、軸が在ることを思い出し、探した所、4ヵ寺がまだ空白だったので、すぐに妻とまわり、百か日には、表装もおえました。 しかし思う所あって、昨春から、最初からはじめました。心で繋がっている感じがして、亡母をより身近に感じます。人は生きて行く限り、常に身近な人との別れは、必ずあるわけなんで、どんな形にせよ、その人たちとの繋がりを、心に留めていけるのも、生きているからこそなんだと思います。33ケ所参りも一つの表現かなと。 #
by t-y1980
| 2009-03-06 23:17
| 西国33ヵ所
|
カテゴリ
以前の記事
2017年 03月 2016年 07月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2013年 01月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 more... 外部LINK
フォロー中のブログ
AS YOU WISH ... N's Photo すずちゃんのカメラ!かめ... Kozi Photogr... デジタル写真館 京都憧憬! **green_cafe** EOS PHOTO けいすけの写真 to be natural Kの散歩 花ごよみ山ごよみⅡ ~写真の在る生活~ 【但馬っ子のblog】 Angel Box Here & There *72 cafe* 君とカメラ 日常カメラマンのブログ ファインダーを覗けば・・・ 最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||