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足元から下は、こんな感じ。落ちたら終わりです。
ですから、全て、ガラス板orアクリル板(?)で囲って有ります。 ![]() EF 24 mm F 1.4 L USM Av優先 5.6 1/40 ±0 ISO 100 SILKY PIX現像 現像時、-1/3補正。 更に、北側の空き地には、新しいビルが建設中です。 ![]() EF 24 mm F 1.4 L USM Av優先 11.0 1/160 ±0 ISO 400 SILKY PIX現像 現像時、+1/3補正。 更に登って、「天空の農園」を目指します (^.^)/~~~ 「・・と煙は、高い所を目指す。」って言いますから (--〆) ![]() EF 24 mm F 1.4 L USM Av優先 9.0 1/50 ±0 ISO 400 SILKY PIX現像 福島原発1号機の底に穴があいてて、汚染水が駄々漏れだそうです。 で、流れ出してる海の濃度が、一万倍になってるらしい。 福島県の避難されてる人でなくとも、東電の幹部の顔を観ると「殺してやりたい!」くらいな感情でしょうね。 全ては、地震津波のせいではなく、事後処理の遅れ、まさしく人災なのに、「想定外」だったからと言う。 「いいえ、東電本社役員の罪です。」 ▲
by t-y1980
| 2011-05-12 16:46
| 青春の思い出
昨日、某所で「日活ロマンポルノ」話が有りました。
それに反応しちゃいました。長めですが、お付き合いくださいね。 昭和47年、19歳の、まったくうだつの上がらないシケた私は、無一文でした。 で、知り合いの紹介で入ったのが、足立区入谷にあった、重量物専門の「車茂運輸工業」。 そこで住み込みで、大型トレーラーの助手って奴をやり始めたのです。 積み荷は、あまりの大きさに、高速道路乗れないんですね。 色んな物運びましたよ、日立製作所の戦車、三菱重工の装甲車、南極観測船(当時はまだ「宗谷」でした)のタンクとかね。 そんなですから、東京ー大阪間国道1号線で、3泊かかります。何故なら、大き過ぎて、夜しか走れない。しかも重いから時速2~30kmってかんじでしたものね。 昼間は、車の下で寝るのです(運転手が、運転台占領してます)。 まだ、クーラー装備してなかった車両は最悪でした。 夏はもう暑くて、寝てられません。 そんな時、何時も遠島運転手(通称トーチャン)は、「映画館に行こう!」 今みたいに、入れ替えとかなかったですし、そりゃー冷房効いてるから、最高の仮眠所な訳です。 然し、一番料金がリーズナブルだったのが、日活ロマンポルノ館でした。 運転手は、すぐに熟睡ですわ。自分も寝ないと、夜困るのですよ、助手といえど、任務重大なんですよ。耳栓して、目をつぶるのです、無理にね。 あの時代は、最初白黒で始まるのです、で、所謂その場面になったら「カラー」になるんですよ、これが。 目を閉じてても、そりゃー色が付いて、周りが明るくなったら、解るでしょう?始まったってね 笑) 19歳、彼女いない、お金もない(当時は歌舞伎町とかも、いまみたい風俗とかなかったような気がしますが、堀之内と千束2丁目くらいかな、行った事ないですが 笑) そりゃー無理ですよね~、眠れません! で、走行中に居眠りですわ。トーチャン「コラ~!!何やってんだ、てめえ~!」と岩手訛りで叱られました。 今思うと、「やらせ」だったかも。楽しんでたんじゃーないのかな?当時はそんな事、微塵も思いませんでしたが。 ![]() 2009 12 . 02 朝 少しWBで遊びました。 EF 135m F 2.0 L USM Av 優先 2.0 1/40 -1/3 ISO 320 DPP現像 ▲
by t-y1980
| 2009-12-03 18:07
| 青春の思い出
![]() 今朝TVで、豊岡市の神武山の開花した桜に、積雪があったと伝えてました。寒いです。先週豊岡は、26℃くらいだったはず。なんなんでしょうね。神武山といえば、我が母校の裏山。 ![]() 下校コースにもなり得た、小高い丘みたいなとこで、そこを彼女と一緒に下校したものですっという、(桜木花道の夢)みたいな話は,全くなくて、思い出と言えば、一つ上の悪い奴らに呼び出され、殴る蹴るの暴行を加えられた(理由は、目つき悪いし、挨拶せんからやそうな。知らんがな、うまれつきやし、しかも実行犯達は他校の奴ら、顔知らんもん)くらいかな。まあ優等生ではなかった、部活中心の、チョイ悪高校生って感じだったかな。容姿も性格も悪いし、女子生徒にもてる訳ないわね、実際のとこ。 当時のそんな私の、すべてを変えてくれたのが、中村君。かれの出現こそが、私の人生観、私生活、全てに於いての、原点になったと言っても、過言ではないのです。ハッキリ言って、惚れました。とことん惚れましたね。かっこいいしね。バレー部のNo.4で主将、親衛隊1号みたいな存在でした。彼の口癖「スポーツマンライク、アッティテュード」「胸はって歩け」かっこよかったですねー。 好きが高じて、遂には、出石の家までおしかけて、厚かましくも、泊まり込む有様。遂には、彼の家族から、「つのさんは、空気みたい」と言われるほど、厚かましく、おじゃましてました。あの時初めて食べた「自家製マヨネーズ」思いました「マヨネーズって、作るもんなんや」って。 彼の家は、出石藩の家老の家、その時みた、おじいちゃんの蔵書の数々。真っ暗にして聴いた「サウンドオブサイレンス」。下屋根からおっしこして、由緒ある「中村屋金物店」の看板、腐らせたの私と東君(彼は授業中、ドモル地理の先生の、真似「熱帯雨林」を「ネッネッネッタイ、ウーリン」とやってて、地図帳の角で頭を、おもいっきりたたかれました。彼もよくもてました。)です。シェルブールの雨傘の口笛で、窓を開ける、薬局の娘。当時、二股かけてた彼女の名言「そばは毎日食べたい、しかし、たまには、うどん食べたい」両方食べられない私は、ムカつくのみ。「アメリカングラフティ」みたいな世界やったなー 神武山の雪が、えらい脱線しました。寒いから風邪気を付けて!! ▲
by t-y1980
| 2009-03-27 00:04
| 青春の思い出
![]() ![]() ブルートレイン「富士、はやぶさ」のラストランがありました。東京駅のホーム、黒山の人だかりでした。隣の新幹線のホームもいっぱいで、発車を待っていたら、人多すぎで、発車遅れ、いざ汽笛鳴ったら、700系入線してきて、可哀想ってかんじでした。 EF66に引かれ、ゆっくり発車していきました。実にいい絵でした。また一つ昭和が消えていきます。 鳥取県選出の、石破農水相(実は結構好きなんです、特に防衛大臣の時の凛とした態度)が会見してて、「青春はブルートレインと共にあった」と言ってました。まさしく、そのものです。但馬出身の私も、東京へは、ブルートレインでした。 貧乏な学生時代は、寝台にすら乗れなくて、ひたすらボックス席でしたね。豊岡から、「八雲」か「出雲」、もしくは、京都まで、各駅で行って、「銀河」でというパターンもありでしたね。電車(まだ汽車だったかな)好きだったし、苦にはならなかったですね。しかし、あまりのみすぼらしさに、同席したおばちゃんから、「少しやで」と、お金をいただきました(みかねたんでしょうね)そんな事が2度程ありました。有難かったです、ほんとに、お金なかった時代やった。でもそんなもんやって思ってました。親恨んだりしなかったし、むしろ兄と違い、好きにさせてもらって感謝してました。 社会人の時(豊岡時代)、東京出張の時は、専ら「出雲」。仕事済んでから、乗り込みました。豊岡21:30発くらいやったかな。その時は、ちゃんと寝台でした。酒飲んで眠るんですが、当時、山陰線まだ非電化で、京都でDD54(?)から、EF60(?)に切り替える時の、「ガチャコン」という振動で、必ず目が覚めた。東京着6:30ぐらいやったか、八重洲地下の「東京温泉」(サウナもあった、今でいうスーパー銭湯やね)で、身支度して、仕事に向かうというパターンでした。 そんな時代は、過ぎ去りし昭和とともに、今はね...(泣)しょうがないから今は、写真と、Nゲージで、なつかしんでいます。 ▲
by t-y1980
| 2009-03-15 00:31
| 青春の思い出
![]() ![]() 昨日、ボクシング世界戦がありました。西脇出身のチャンピオン長谷川 穂積選手、むちゃくちゃ強かったですね。挑戦者は、あのタイの英雄、ウィラポンをKOしてきたって聞いてたし、サウスポーやし、リーチえらい違うし、少しはてこずるって思ってましたが、何の何の強かったですね! 亀田3兄弟も頑張って欲しい。某TV局の、異常なまでの演出で、すっかり悪者になってしまった感があるけど、あの若さで、あそこまでやってる訳なんだし、成功してもらいたい。 メディアの在り方?の話はまた後日ってことにして、私のなかで、強いチャンピオンと言えば、大場 政夫しかいません。 3階級制覇も夢ではない、それぐらい、日本人離れの体格した彼は強かったなあ。しかし、1973年の1月だったか、チャチャイ戦の後、首都高速の新宿の大曲で、日本に3台しかないと言われた、愛車シボレーコルペットスティングレーで事故死してしまいました。 悲しかったなんてものではなかったなあ。 上京して間なしの、田舎者だった私たち、せめて葬式を見たいと、友達の松本君と、青山葬儀場にでかけました。彼も大フアンでした。でも私服やったし、見つかったら叱られると、その時は本当に思ってました(純真な若者でした) で植え込みに二人隠れて、式を見ていました。 しかしやっぱりみつかりました。 ボクシング関係者の人なんですから、喪服着てたら、そらもう...系の人みたい。どうしょう、どうしょう、と逃げようとしていたら、つかつかとやって来て、「君たち!」 叱られるって思ったつぎの言葉、「焼香してやって!」 耳を疑いました。 えー!いいんですか?しかも、思いっきり普段着(喪服なんて、持ってないけど) と躊躇している我々を、彼は、どんどん中に連れて行きました。すごい人垣の中を通って、焼香台に着くまで、二人ともカチカチで、ロボット歩きでしたわ。 後は覚えていませんが、松本君が、「おおー!何か動いた」って前を見て、驚きました。明るいとこから、急に入ったからあまり見えなかった。よく見ると、お坊さんが何十人も!!(その時は、そう見えた) そんな思い出がある、大場 政夫!! 強かった!! ▲
by t-y1980
| 2009-03-13 16:56
| 青春の思い出
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