昨日更新できなかったのは、帰りが遅くなったためです。
彦根港9時30分発のフェリーに乗るために、朝7時出発(月曜だから割り引きなし)、9時着。いざ30番(西国三十三カ所霊場巡り)竹生島へgo! 船上、奥琵琶湖の山々を眺めながら、あそこが、秀吉が造った、北国街道の越前の備えたる今浜(現在は長浜)か、あの山が、北近江浅井氏の小谷城址か?あのむこうが、越前との境の木之本峠やな?てことは、あの奥が、柴田勝家との戦いの、シズガ岳、あっちのやまのむこうが、若狭街道に続く朽木谷(信長が越前から、浅井軍を避けて逃げ帰った時、助けた朽木元綱の所領)か?とか、北近江って深いなーと、歴史絵巻に浸ってたら、もう40分の船旅は終わりました。 宝厳寺、開祖は、東大寺建立時に、全国に寄進に廻った、かの有名な行基です。千手観音がご本尊ですが、ここは弁財天のほうが知られています。 それから彦根に引き返し、彦根城(幕末の大老で、安政の大獄を起こし、後桜田門の変にて、暗殺される井伊直弼の居城)の桜を楽しむ予定が、まだ蕾。しかたなく、近江商人の街、近江八幡に引き返し、次31番に登る。 長命寺は、開闢、武内宿禰(6代の天皇に仕えた大臣)、開祖、聖徳太子、千手十一面観音がご本尊です。 余談ですが、法華経の教えは、端的に言うと、「観音様は、いろいろな形に姿を変え、私たちを御救い下さる」、千差万別の苦しみに、やさしく手をさしのべるための千手。衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる(受け売り)、とか色々な姿で表わされている。また現世にその姿を現わされた、それこそが聖徳太子とされています。 次は32番、観音正寺に向かいます。ここは、信長軍が、一日で抜いた、南近江の、六角丞禎の居城、観音寺城の向いの山、京の押えには、重要な土地。安土城を築いたのも解るというもの(家康は、そのために彦根藩を造った訳で、信頼できる井伊氏を置いた)。 繖山(きぬがさやま)観音正寺、開祖は聖徳太子、ご本尊は千手千眼観世音菩薩 です。 今回は、戦国時代、特に信長の統一の戦い(彼はこの戦いのために「天下布武」という、所謂ハンコを作るんです)に思いを馳せました。 どこもそれぞれ歴史があって、趣があるという日帰りでした。
by t-y1980
| 2009-04-01 00:03
| 西国33ヵ所
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